毛馬内まちめぐり/本町通り

 慶長13年(1608)の町割りで中央部に御町がつくられました。館坂より少し南側

に寄った所から直角に西に延びています。その先が月山神社へ続く道であることから

御町と称したといわれています。現在は「本町通り」と呼ばれ、東側から上町・中町

下町から成っており、昔から町の中心をなす商人町となっています。

 この通りは、平成26年春に昭和の町並みの雰囲気を残した復元整備により、毛馬内

商店街「こもせ通り」として生まれ変わっています。

  鹿角の夏祭りは、大湯大太鼓、花輪ばやしに続いて8月21日〜23日に毛馬内こもせ

通りを会場に繰り広げられる「毛馬内盆踊り」でフィナーレをむかえます。

 

▽毛馬内盆踊り会場となる本町通り

横幕には南部氏の家紋「南部鶴」がデザインされている。

 

▽「毛馬内盆踊り像」福本 晴男制作

 

毛馬内2016北の盆

 

     8月21日()   午後8時〜9時半 毛馬内盆踊り」

     8月22日(月)午後6時半〜7時半 一戸ナニャドラヤ踊り(ゲスト出演)

                   午後8時〜9時半 毛馬内盆踊り」

    8月23日(火)午後6時半〜7時半  板柳町どだればち踊り(ゲスト出演)

              午後8時〜9時半 「毛馬内盆踊り」


毛馬内まちめぐり/仁叟寺

 仁叟寺は明暦3年(1657)柏崎城主であった桜庭兵助光英により創建されました。

 境内には、戊辰役の忠魂碑をはじめ顕彰碑、歌碑など数多くの碑が建立されています。

 

▽参道入口から山門、本堂を望む

 

▽参道入口脇の供養塔

天保、宝暦、寛延の大飢饉に伴う餓死者の供養として建てられた。

 

▽凱翁山仁叟寺(曹洞宗)本堂

山号「凱翁山」は光英の法名から

寺号「仁叟寺」は光英の父 兵助直際の法名に因る。

 

▽山 門

慶長2年(1597)に廃城となった当麻館の搦手門を移したものと伝わる。

 

▽鐘 楼

宝永元年(1704)に建立された鹿角最古の鐘楼。

 

▽忠魂碑(左より戊辰役、日清、日露、太平洋戦争)

 

▽どじょっこふなっこの歌碑

 

▽山門から西側の山々を望む(左から茂谷山、月山、米山)

 

▽道元禅師座像(平成26年 木村博氏 奉納)福本晴男 制作

昭和31年に焼失した道元禅師像を再現。京都誕生寺の道元禅師像を参考に

開眼58年に合わせて、58歳の年齢をイメージした像という。

 

▽手水場

『鹿角縁起』には「寺の後の山の岩窟の中から、清水が湧き出ている。・・・

その水を大きな樋で引いて用水にしているが、干ばつの際でも水が涸れること

がない」とある。

 墓地へのお供え物は持ち帰るように!との貼紙が目についた。

 これまでは、カラスや猿がその対象であったのだが・・・


毛馬内まちめぐり/カトリック鹿角教会

 白いペンキ塗りの外壁、赤いトンガリ帽子の屋根に十字架の「カトリック鹿角教会」

は閑静な住宅街の一角にひっそりとただずんでいます。

 昭和5年(1930)宣教師として毛馬内に赴任したドイツ出身のウィルヘルム・プール

神父によって建てられました。礼拝堂の中は祭壇を正面に60名ほどが収容できる木造の

ゴシック様式の建物です。

  現在も毎週日曜日の礼拝に使われているばかりでなく、周りの人々の心の安らぎ

として親しまれています。

 

カトリック鹿角教会の外観

 

 礼拝堂のそばに高さ約15メートルのドイツトウヒの大木がクリスマスツリー

して活用されていた。ツリーに点燈されると、その美しい光は訪れた人の目を

しませてくれた。木が成長し建物に影響があるとのことで、最近になって伐採

れてしまい、残念ながらこの光景は見られなくなった。

 

教会前の通り

 かつて教会の周辺は田んぼに囲まれていたが、高田地区の区画整理が行われ

住宅地に生まれ変わった。街路樹は教会に植えられていた樹種に合わせたもの

を選定して植えられた。


毛馬内まちめぐり

 藩政期の鹿角地方は、盛岡藩領として花輪と毛馬内に代官所が置かれ、その統治

地区を「通り」と称していました。

 そのうち毛馬内は、鹿角北半の政治経済の中心として栄え、鹿角街道、来満街道

濁川街道、藩境をかかえた要地であり、内藤湖南、和井内貞行等多彩な人材を輩出

した地でもあります。

 また独特な風情で郷愁をよぶ「毛馬内盆踊り」(国指定重要無形民俗文化財)が

伝承されています。

*************************************

 まちめぐりのスタートは十和田市民センターからです。この場所に毛馬内小学校

がありましたが、1976年(昭和51年)に統合移転し、1980年、その跡地に十和田

市民センターが完成しました。

 

〜十和田市民センター前の見どころ〜

 

☆「はばたきの像」

十和田市民センター落成記念として1980年に設置される。

毛馬内と縁のある彫刻家 福本晴男(1940〜2014)の制作による。

 

 

☆「浜辺の歌」歌碑

 作曲家 成田為三が大正2年、教師として毛馬内小学校に赴任したが一年で辞め

音楽の道に進んだ。「浜辺の歌」の第一稿の楽譜は懇意にしていた毛馬内の大里

健治氏に贈られたが、成田為三の自宅が戦災で楽譜も焼失したため、大里氏がこ

れを文子夫人に送ったものという。

 現在、その原本は北秋田市の『浜辺の歌音楽館』に展示されている。

 

☆「老梅庵育焉亭」の松

昭和55年(1980)市民センター落成記念として「館」にあった奈良農園

跡地から現在地に移植されたものという。

***********************************

 毛馬内では、福本晴男氏の制作した作品は

 市民センター前の「はばたきの像」のほかに

         「毛馬内の盆踊り像」(本町通り駐車場前)

         「内藤湖南先生像」(館)

         「道元禅師坐像」(仁叟寺)が見ることができます。

 


下川原トゲウオ生息地

 炎天下のなか、トゲウオ(学名:トミヨ・イバラトミヨ)の生息地である下川原に所在

する沼に、水草が一面に覆われる状態となってきたことから、水辺の環境保全として地元

治会、教育委員会、米代川源流自然の会で沼周辺の下草や水辺の除草作業を行いました。

 

 ☆下川原トゲウオ生息地(花輪字赤川)

 

 

 

びっしりと沼一面に覆われた水草を鎌や鍬を使って引き上げる。

 

生息地に繁茂している「ヨシ」は、トゲウオの産卵や繁殖、水中の余分な

有機物を除去する働きがあるとされているため、今回は残しているが、浄

化作用を高めるためには、適切な刈り取りも必要との調査報告がある。

 

水草が除去され、水面が顔を出すようになった。(水深は1mほど)

 

沼地の水は排水路となって米代川に注がれる。

 

下川原集落は米代川右岸の低湿地に立地している。トゲウオ生息地の沼は

東北自動車道の高架下をくぐり、左折して30メートルほど行くと解説板が

設置されており、そこから沼の様子が見られます。

 

 

 


夏休みは親子でアウトドア!

東北もやっと梅雨が明け、連日暑い日が続いていますね!

夏休みが始まって一週間、みなさんお出かけの予定は立てていますか?

 

今回は、親子で楽しめるアウトドアスポットをご紹介します。

鹿角から十和田湖へ向かう途中、国道103号線沿いにあるき山麓園きさんでは、

市内で唯一、釣り堀での釣りが楽しめます矢印上

「よく釣れる」イワナとニジマスの生簀があり、毎年この時期になると

市内外からの親子連れで賑わいます。

 

 

 

釣った魚はその場で炭火焼またはお刺身にしていただくか、もちろん

持ち帰ることもできます。

持ち帰り用にクーラーボックスがあると便利です。

釣りが初めての方でも、従業員の方が親切丁寧に教えてくれるので、

すぐ釣れるようになりますよ手

 

みなさんこの夏はぜひ、鹿角のアウトドアスポット山麓園さんへ

お越しください!

 

山麓園(さんろくえん) 0186-37-3568

 

 

◆───−--- - - INFOMATION- - - ---- – -−───◆

鹿角へお越しの際は、まず初めにこちらへお立ち寄りください!
きJR鹿角花駅前観光案内所き  ☎0186-22-0108
十和田八幡平の案内人が鹿角をディープにご案内いたします。

観光情報・道路情報等をご案内しております

十和田八幡平観光物産協会  0186-23-2019
http://www.ink.or.jp/~kankou18/

Facebookはコチラ  >>> https://www.facebook.com/kankou18/
Twitterはコチラ  >>> https://twitter.com/zippatikyoukai

 

 


岩盤浴に珍客

 玉川温泉の玉川薬師神社付近は病気を癒す効果があるのか、岩盤浴に訪れる

人が絶えず、その場所を目当てにしている人もいるようだ。そのさなかに思わ

ぬ珍客を目にした。よく見ると痩せた狐であった。人を警戒する様子はなく餌

をもらえるのを期待してじっと待っている様子。自然界で生きていくのもなか

なかきびしいようである。

 

 


八幡平アスピーテライン/県境

 秋田・岩手の両県をまたぐ八幡平アスピーテライン(現 県道23号線)の山岳道路が供用され

たのが昭和45年8月15日で、間もなく46年目となります。

 道路の県境は八幡平山頂駐車場の向かい側に県境の標柱が建っており、その脇から八幡平頂上

への遊歩道が整備されています。

 

☆八幡平アスピーテライン「秋田・岩手県境」

 

☆県境付近から見た秋田県側の道路

 

☆県境付近から見た岩手県側の道路

 

☆八幡平山頂 標高1,613m

山頂は岩手県八幡平市に属する。地殻変動によりそれまでの標高から1m低くなり

1613mになったことが2011年10月31日、国土地理院から発表されている。


藩境をめぐる/八幡平「田代沼」

 八幡平頂上から蒸ノ湯温泉へ至る八合目登山道の左右に池塘が並び、総称して

田代沼」と呼ばれています。北側を南部沼、南側は秋田沼と呼んでいます。

 道の北側が旧南部領(鹿角)南側が旧秋田領(仙北)であったことの名残りです。

 

☆八幡平八合目「田代沼」 標高 1,493m

田代沼付近の道標

 

▽秋田沼

 

南部沼

 

田代沼」は蒸ノ湯から八幡平に登る時は、ちょうど中間点でもあり、ゆっくり

一息つける場所であった。今はアスピーテラインの田代沼入口から歩いて5分程

で立ち寄ることができるようになった。


県境をめぐる/八幡平 藤助森

 八幡平山頂から北西0.6km地点の秋田・岩手の県境「藤助森」に次のような

詩碑が建っている。昭和33年4月6日八合目付近で遭難した方の詩で、その友人

の方が建立したものといわれています。

 

 山を愛し、山に徹し、山に潜る

  嗚呼、遥けくも、来つるものかな雪の八幡平

   吾一人雪波乗り越えて、はや走り行かんと八幡平の嶺

                      昭和33年7月31日建立

 

☆藤助森 標高1604m

 

 山の由来である阿部藤助は切留平から八幡平頂上までの登山道を開発

その途中の山を地元の人たちは「藤助森」と呼んで親しんできました。

 藤助の功績を知った盛岡在住の方の尽力により、平成24年3月に「藤助森」

が国土地理院の地形図に掲載されました。

 

☆藤助森付近に建つ道標



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