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- 2019.07.29 Monday
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二の丸西端に東洋史学者の内藤湖南旧宅があります。湖南の父十湾が尾去沢鉱山に勤務し
た後毛馬内に帰り、明治13年、現在地に居宅を建てました。湖南15歳のときでありました。
▽内藤家のある二の丸通り
▽湖南先生旧宅の碑
往時の姿を残しているのは門だけで、長崎出身の書家 吉田晩稼筆(靖国神社の石標を揮ごう)
十湾が刻した「蒼龍窟」の扁額が掲げられている。
▽「内藤湖南先生像」 福本 晴男 制作
▽三餘堂(書院) 明治34年建築
書院は頼山陽の山紫水明荘を模したといわれ、吉田晩稼揮ごうの扁額「三餘堂」
を掲げ、十湾はここで郷土の歴史を究め『鹿角志』を執筆した。
▽中央奥は本丸跡と右手は搦手坂(堀合坂)
古町通りは、もと桜庭家中の屋敷まちであり、今も生垣に囲まれた閑静な佇まいを
残しており、その中でも一番古い建物が伊藤家で、宝暦元年(1751)の建築とされて
います。
八間半に五間の茅葺(現在はトタン)寄棟屋根の建物は藩政時代の武家住居として
貴重なものであり、今日まで大切に守り伝えられています。
▽生垣の映える古町通り
▽鹿角最古の武家屋敷(伊藤家)
伊藤家の人々
◇伊藤為憲(明和4年生まれ) 江戸時代後期、江戸に遊学して折衷学を修めた儒学者で
鹿角の伝承・名勝などをまとめた『鹿角縁起』を著した。
◇伊藤良三(明治16年生まれ)教員生活のあと、初代十和田町長として功績を残した。
晩年は郷土史料の収集と研究『毛馬内郷土史稿』を著す。
※二人の功績を讃えた顕彰碑が屋敷前に建っている。
古町通りには、桜庭氏の筆頭家老を務めた和井内家(現在は先人顕彰館の建物)や三代に
わたり私塾を開き、多くの人材を養成した泉澤家がある。
来月9月1日より、鹿角市と小坂町の「美味しいもの」を食べ歩いて
スタンプを集める、
【かづの・こさか「んめもの」スタンプラリー】 が開催されます!
「んめもの」とは、この地域の方言で「美味しいもの」という意味。
かづの牛や八幡平ポーク、比内地鶏、ラーメン、お蕎麦、カレーなどなど、
パンフレットを見るだけで食欲をそそられること間違いなしです!
鹿角市そして小坂町の「んめ〜!」ランチを食べて、ぜひ豪華景品を
ゲットしてくださいね!
スタンプ台紙は、道の駅かづの や 鹿角花輪駅前観光案内所 などに
設置しておりますので、ぜひお立ち寄りください!
【お問合せ】鹿角地域振興局 地域企画課 ☎0186-22-0457
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鹿角へお越しの際は、まず初めにこちらへお立ち寄りください!
JR鹿角花駅前観光案内所 ☎0186-22-0108
十和田八幡平の案内人が鹿角をディープにご案内いたします。
観光情報・道路情報等をご案内しております
十和田八幡平観光物産協会 ☎0186-23-2019
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篤農家、事業家として活躍した毛馬内の立山弟四郎が、大正2年(1913)に私財を投じて
「立山文庫」を開設しました。特に鹿角一円を巡回して遠隔地の子供たちのための巡回文庫
もつくりました。その遺志は子息に引き継がれ、昭和21年(1946)に蔵書1万冊余りが当時
の毛馬内町に寄贈され、現在の立山文庫継承「十和田図書館」の礎となりました。
▽白と黒のなまこ壁が美しい建物の外観(下小路)
▽立山弟四郎翁像(十和田図書館)
東北の夏祭りも終盤に入り、秋田県三大盆踊りの最後を飾る秋田県鹿角市で
国指定重要無形民俗文化財「毛馬内盆踊り」が、8月21日から23日まで
かがり火のもと呼び太鼓で始まり厳かにゆく夏の夜に踊りが披露されております。
本日の最終日も毛馬内こもせ通りで男女とも豆絞りの手拭いで頬被りをし、紋付や
留袖に蹴出し、きらびやかな帯で踊る衣装が特徴です。
京都の念仏踊りの流れをくむと言われている「大の坂」、南部領の450年前に
戦いから帰った将兵たちを労ったのが始まりとされる「甚句」などの踊りが
舞われております。
会場入り口
大太鼓の呼び太鼓から始まります
男女とも艶やかな衣装で、大太鼓だけで踊る「大の坂」で始まる
若い女性も多く参加
地元の子供たちも参加し盛り上げます
こもせ通りでかがり火を囲み常に内側を向きゆったりと左へ移動
かがり火を囲む輪踊り
「甚句」は歌い手が交互に延々と歌い、合わせて踊ります
本部前
毎年、ゲスト参加もあり今回も2団体が参加してくれました。
22日 一戸ナニャドラヤ保存会(岩手県一戸町)
23日 板柳町どだればち保存会(青森県板柳町)
ゆく夏をゆったりと
慶長13年(1608)の町割りで中央部に御町がつくられました。館坂より少し南側
に寄った所から直角に西に延びています。その先が月山神社へ続く道であることから
御町と称したといわれています。現在は「本町通り」と呼ばれ、東側から上町・中町
下町から成っており、昔から町の中心をなす商人町となっています。
この通りは、平成26年春に昭和の町並みの雰囲気を残した復元整備により、毛馬内
商店街「こもせ通り」として生まれ変わっています。
鹿角の夏祭りは、大湯大太鼓、花輪ばやしに続いて8月21日〜23日に毛馬内こもせ
通りを会場に繰り広げられる「毛馬内盆踊り」でフィナーレをむかえます。
▽毛馬内盆踊り会場となる本町通り
横幕には南部氏の家紋「南部鶴」がデザインされている。
▽「毛馬内盆踊り像」福本 晴男制作
毛馬内2016北の盆
8月21日(日) 午後8時〜9時半 「毛馬内盆踊り」
8月22日(月)午後6時半〜7時半 一戸ナニャドラヤ踊り(ゲスト出演)
午後8時〜9時半 「毛馬内盆踊り」
8月23日(火)午後6時半〜7時半 板柳町どだればち踊り(ゲスト出演)
午後8時〜9時半 「毛馬内盆踊り」
仁叟寺は明暦3年(1657)柏崎城主であった桜庭兵助光英により創建されました。
境内には、戊辰役の忠魂碑をはじめ顕彰碑、歌碑など数多くの碑が建立されています。
▽参道入口から山門、本堂を望む
▽参道入口脇の供養塔
天保、宝暦、寛延の大飢饉に伴う餓死者の供養として建てられた。
▽凱翁山仁叟寺(曹洞宗)本堂
山号「凱翁山」は光英の法名から
寺号「仁叟寺」は光英の父 兵助直際の法名に因る。
▽山 門
慶長2年(1597)に廃城となった当麻館の搦手門を移したものと伝わる。
▽鐘 楼
宝永元年(1704)に建立された鹿角最古の鐘楼。
▽忠魂碑(左より戊辰役、日清、日露、太平洋戦争)
▽どじょっこふなっこの歌碑
▽山門から西側の山々を望む(左から茂谷山、月山、米山)
▽道元禅師座像(平成26年 木村博氏 奉納)福本晴男 制作
昭和31年に焼失した道元禅師像を再現。京都誕生寺の道元禅師像を参考に
開眼58年に合わせて、58歳の年齢をイメージした像という。
▽手水場
『鹿角縁起』には「寺の後の山の岩窟の中から、清水が湧き出ている。・・・
その水を大きな樋で引いて用水にしているが、干ばつの際でも水が涸れること
がない」とある。
墓地へのお供え物は持ち帰るように!との貼紙が目についた。
これまでは、カラスや猿がその対象であったのだが・・・
白いペンキ塗りの外壁、赤いトンガリ帽子の屋根に十字架の「カトリック鹿角教会」
は閑静な住宅街の一角にひっそりとただずんでいます。
昭和5年(1930)宣教師として毛馬内に赴任したドイツ出身のウィルヘルム・プール
神父によって建てられました。礼拝堂の中は祭壇を正面に60名ほどが収容できる木造の
ゴシック様式の建物です。
現在も毎週日曜日の礼拝に使われているばかりでなく、周りの人々の心の安らぎの場
として親しまれています。
カトリック鹿角教会の外観
礼拝堂のそばに高さ約15メートルのドイツトウヒの大木がクリスマスツリー
として活用されていた。ツリーに点燈されると、その美しい光は訪れた人の目を
楽しませてくれた。木が成長し建物に影響があるとのことで、最近になって伐採
されてしまい、残念ながらこの光景は見られなくなった。
教会前の通り
かつて教会の周辺は田んぼに囲まれていたが、高田地区の区画整理が行われ
住宅地に生まれ変わった。街路樹は教会に植えられていた樹種に合わせたもの
を選定して植えられた。
藩政期の鹿角地方は、盛岡藩領として花輪と毛馬内に代官所が置かれ、その統治
地区を「通り」と称していました。
そのうち毛馬内は、鹿角北半の政治経済の中心として栄え、鹿角街道、来満街道
濁川街道、藩境をかかえた要地であり、内藤湖南、和井内貞行等多彩な人材を輩出
した地でもあります。
また独特な風情で郷愁をよぶ「毛馬内盆踊り」(国指定重要無形民俗文化財)が
伝承されています。
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まちめぐりのスタートは十和田市民センターからです。この場所に毛馬内小学校
がありましたが、1976年(昭和51年)に統合移転し、1980年、その跡地に十和田
市民センターが完成しました。
〜十和田市民センター前の見どころ〜
☆「はばたきの像」
十和田市民センター落成記念として1980年に設置される。
毛馬内と縁のある彫刻家 福本晴男(1940〜2014)の制作による。
☆「浜辺の歌」歌碑
作曲家 成田為三が大正2年、教師として毛馬内小学校に赴任したが一年で辞め
音楽の道に進んだ。「浜辺の歌」の第一稿の楽譜は懇意にしていた毛馬内の大里
健治氏に贈られたが、成田為三の自宅が戦災で楽譜も焼失したため、大里氏がこ
れを文子夫人に送ったものという。
現在、その原本は北秋田市の『浜辺の歌音楽館』に展示されている。
☆「老梅庵育焉亭」の松
昭和55年(1980)市民センター落成記念として「館」にあった奈良農園
跡地から現在地に移植されたものという。
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毛馬内では、福本晴男氏の制作した作品は
市民センター前の「はばたきの像」のほかに
「毛馬内の盆踊り像」(本町通り駐車場前)
「内藤湖南先生像」(館)
「道元禅師坐像」(仁叟寺)が見ることができます。
炎天下のなか、トゲウオ(学名:トミヨ・イバラトミヨ)の生息地である下川原に所在
する沼に、水草が一面に覆われる状態となってきたことから、水辺の環境保全として地元
自治会、教育委員会、米代川源流自然の会で沼周辺の下草や水辺の除草作業を行いました。
☆下川原トゲウオ生息地(花輪字赤川)
びっしりと沼一面に覆われた水草を鎌や鍬を使って引き上げる。
生息地に繁茂している「ヨシ」は、トゲウオの産卵や繁殖、水中の余分な
有機物を除去する働きがあるとされているため、今回は残しているが、浄
化作用を高めるためには、適切な刈り取りも必要との調査報告がある。
水草が除去され、水面が顔を出すようになった。(水深は1mほど)
沼地の水は排水路となって米代川に注がれる。
下川原集落は米代川右岸の低湿地に立地している。トゲウオ生息地の沼は
東北自動車道の高架下をくぐり、左折して30メートルほど行くと解説板が
設置されており、そこから沼の様子が見られます。