「十和田火山」が最後に噴火したのが、今からちょうど1,100年前の延喜15年(915)
8月17日(旧暦7月4日)のことでした。この噴火で50億トン(東京ドーム5千杯)も
のマグマが噴出。過去2,000年に日本で起きた噴火で最大規模といわれています。
十和田湖に「八郎太郎」伝説があります。大蛇に変身した八郎太郎が、南祖坊との激
しい戦いに敗れ、十和田湖を追われて米代川を下り八郎潟に逃げていくというスケール
の大きな物語です。
この物語は、1100年前の十和田火山の噴火が、八郎太郎と南祖坊の格闘の場面であり
火砕流・シラス洪水の流下が八郎太郎の敗走をあらわしているとされています。
◇ 御鼻部山から見た十和田湖
十和田湖を生んだ十和田火山に、いま活火山の鼓動を聴くことはない。
空高く火山灰を噴き上げ、灼熱の熱雲がほとばしった1100年前の様子
はどんなものであっただろうか・・・
噴火したマグマは噴煙となって火山灰や軽石となって降りそそいだ。
その後、火砕流が発荷峠付近を超えて大湯川を流れ下った。
伝説では、八郎太郎は真っ赤な血を流しながら御倉半島を這い上がり
敗走したのでした。
◇男神・女神
八郎太郎は故郷の草木の山からあたりを見ると、西のほうに米代川、小坂川
大湯川の合流する狭い谷あいが目についた。
◇茂谷山
そこで、八郎は茂谷の山を動かして男神・女神の間をせき止めて鹿角盆地
を湖にしようと綱をかけはじめた。
◇集宮(あつみや)
鹿角が湖になれば、民の住む家もなくなり、神々の居るべき社もなくなる
ため、これを知った鹿角の神々は集宮に集まって八郎を追い出すために石
を投げつけることに決め、その石を切り出すため花輪福士の鍛冶にカナヅチ
ツルハシ、タガネなどをたくさん作らせ、牛につけて集宮まで運ばせた。
◇陣場
◇鹿角盆地(茂谷山頂より)
神々が八郎に石を投げて戦ったところを「陣場」といった。
その名残として、明治の初め頃まで田んぼの中に大石があったという。
『毛馬内郷土史資料』より
火砕流は、水と混じりあってシラス洪水(火山泥流)となって米代川沿いに
流れ下り、当時の人々に大きな被害を与えた。
今年、大館市比内町の片貝家ノ下遺跡から平安時代の竪穴住居跡と屋根の跡
が発掘された。915年の十和田火山の噴火によるシラス洪水で埋没したと見ら
れている。
☆片貝家ノ下遺跡(屋根跡・住居跡)11月14日撮影