花輪館(現 花輪小学校)と北館(現 桜山公園)の館下にある横町・袋丁は
組丁へかけ近世には家中屋敷の並ぶ内町を形成していました。
横町は南北に長い鹿角街道沿いの本町通りから、直角に東横に入る町割りか
ら付いた名としています。中心部の一段高い場所に明治14年花輪小学校横町
校舎が新築、大正3年花輪館に移っています。その跡地に同5年鹿角郡公会堂
が建てられました。
袋丁はむかし袋小路になっていて、他領から忍びこんだ曲者(くせもの)を
この一角に追い込んで捕えたと伝わっています。生垣や石垣に囲まれた通りが
往時の武家町のたたずまいを残しています。
☆横町
「横町」は町通りから直角に入った通り。袋丁と共に花輪館下に幕末まで
南部中野氏の家臣や御町医の武家屋敷が構えていた。
今が紅葉が盛りの楓の木は大正5年(1916)に郡公会堂を建築した
記念に植えられたと伝わる。
直進して館坂(搦手口)にさしかかり、花輪館に通じる。
左手の中ほどに明蓮寺(真言宗:明治12年廃寺)があった。
☆袋丁
「袋丁」も横町とともに武家屋敷街であった。天保年間の絵図には福士川から
水を引いた池が大小七つほどあるが、現在もホテルの庭園に一番大きい池が見
られる。
吉田屋敷跡(本陣跡)
万延元年(1860)南部藩主利綱が鹿角巡視の際に吉田家が本陣として
使われた。また、慶応4年(1868)戊辰戦役の際には鹿角口の総大将
楢山佐渡の陣宿となった。
今、残っている石垣は明治の末頃に現在の所有者が組み直したものと
聞いている。
吉田屋敷跡の庭木の中にイチイの木の間から松の木が伸びている。(あるいは逆?)