以前、花輪の祭典では幸稲荷神社の神が神社から出御し、御休堂で神輿に御神体を
遷していました。8月16日午前零時を期して、川原町・下タ町・下堰向の3町内が
先を競って御休堂に向かい、夜が明けるまで神を迎えるために太鼓を叩き続けたとい
われています。お祭りは、もともと祭場に神の降臨を願って御神酒や供物を奉げ太鼓
や囃子が夜を徹して行なわれ、夜明けとともに終わるのが習わしとされていました。
幸稲荷神社の祭典は御休堂での御霊遷しと新田町桝形における朝詰めがその典型と
いえます。
現在、御休堂で行われていた御霊遷しは陣場下の福士川に架かる橋の上で行われて
おり、16日の午後ここで迎えの太鼓は空(から)の神輿とともに神を迎えています。
☆御休堂(稲荷神社)
御休堂は御霊を神輿に遷す場所として重要なところであったが昭和30年代
終わり頃から使えなくなった。近くの養鶏農家のニワトリが太鼓の音に驚き
卵を産まなくなったためとか・・・最近になって真相を知りました。
☆御霊を神輿に遷す場所(陣場下の福士川に架かる橋付近)
一般的なお祭りは御霊は神社で遷されるが、花輪のお祭りではここまで
氏子総代に担がれて神輿に遷される。