大湯環状列石から南東約1キロの距離に猿賀神社があります。日本書紀には
蝦夷征伐の途中戦死した田道将軍を祀ったとの記述があります。
その場所として茨城、石巻、津軽説もありますが、明治23年に水戸の学者
青山延寿が周辺の軍森(いくさもり)蝦夷森(現 泉森)の地名などから鹿角の
猿賀神社が田道将軍の墳墓であるとの論文を発表しています。
青森県尾上町(現 平川市)にある猿賀神社も田道将軍を祀っていますが、そ
こには「祠は鹿角より流れついた」との言い伝えが残っています。
☆猿賀神社(申ケ野)
祭神:猿田彦命 祭日:5月29日
「将軍田道祠 」無紀年
「田道将軍戦没之地」 明治41年9月29日建立
境内に「将軍田道祠」と「田道将軍戦没之地」と刻まれた二つの
石碑がある。
☆陰陽石?
向こう側の立石には庚申の文字が刻まれており、庚申塔と思われるが
陽石とも見て取れ、南北方向に面をとっている。手前側は陰石の形を
しており、東西方向に長い。これらのことから陰陽石でもあり方位石
ではないかとの見方をしている人もいる。
☆境内から北東に軍森を望む
軍森はその名が示す通り、蝦夷平定に来た田道将軍が戦った古戦場
であるとの伝説が残っている。