78年前、昭和11年11月20日未明 鹿角市尾去沢字中沢(現在地名)
尾去沢鉱滓ダムが2度にわたり決壊しました。
沢沿いの住宅(中沢・笹小屋・瓜畑・新堀・下モ平・蟹沢)を飲み
込み米代川へ・・・・翌月12月22日未明 復興工事中に再び決壊し
ました。
死 者 374人
負傷者 174人
罹災世帯 293世帯
被害家屋 294戸
秋田県の鉱山事故最悪の事件でした。
翌昭和12年11月20日 変災一周忌の法要が営まれました。
大盛山 円通寺の境内に変災犠牲者の霊を追悼する記念に「観音堂」
建立され、
幼若犠牲者の霊を慰めるため「地蔵堂」が建立されました。
(三菱鉱業社史より)
大盛山 円通寺
中沢鉱滓ダム
円通寺境内よりダムが流れた沢沿いを見る。
観音堂(四面四間高さ31尺余り)立派なものです。
観音堂 内部
地蔵堂(H25.12撮影)
観音堂は春秋の彼岸、お盆などには開放されます。
今では尾去沢の人々は高齢となり又閉山と共に他県に移り、手を合わす人の
姿は少なくなりつつある観音堂ですが歩を運んで見ては如何でしょうか。